筆者はまとまった休みにはどこかへ旅に出たりするのだが,きれいな景色を見ているときや貴重な体験をしたときに,自分と周りの人間との間の温度差を感じて”感動の閾値”について考えることが多々ある。

閾値(しきいち)とは,文字通り「ここを超えたら○○する」という基準のことだ。人の感情というのは複雑であるが,ある景色を見たときに感動するかどうかは,上がってきた感情の波が,単純にこの閾値を超えるかどうかだと思っている。

筆者はバイク,自転車,徒歩など様々な手段で旅をするのだが,これはそれぞれの手段で見る対象が変わってきたり,そもそも同じものを見るのでも見方が変わってくるからだ。例えばバイク旅だと「このまま真っすぐ進んだら何があるのだろう」と行動範囲が大きくなることで,いろんな感動の種に出会うことができる。一方で歩き旅をしていると,道端に珍しい花が咲いていることに気が付いたりする。このように行動や視点を変えようと意識することで,感動の種に気が付く心というのは維持されるだろう。

 

基本的に人嫌いなので,有名な観光地に行くことは少ないが,そういった場所に足を運ぶと決まって,多くの人が到着してすぐにスマホを取り出し,パシャパシャと写真を撮っている。人の心を動かすような写真を撮れる人は素敵だと心から思うが,これはどうだろうか。はるばる来て素晴らしい景色を目の前にしているのに,噛みしめることなくスマホに手を伸ばすのでは,自分の感情を無視しているのと同じだ。写真を撮ることで自分がこの場所を訪れたという証明を残そうとしているにすぎない。

景色をじっくり楽しみ,自分の心の変化に気づき,それほどの影響を持つ景色を愛でるといったプロセスを経ることで,感動の波は大きくなる。

ぜひ,スマホに手を伸ばす前に,1分でもいいから目の前のものと自分の心に集中してみてほしい。何枚も写真を撮るのなんて馬鹿らしく思えてくるだろう。あなたの写真よりもはるかに素晴らしい写真がネット上にはいくらでも転がっているが,そこにいて心が動かされるチャンスは,いまこの瞬間だけなのだから。

 

ここまで,①感動の種との出会いを増やすことと②”感動の閾値”を超えることについて述べた。次に,感動しやすくするために”感動の閾値”をいかに低く保つかについて。

先日,奄美大島でゲストハウスに滞在したとき,ほかの宿泊者たちといろんな話をした。そのうち自分を含めて2人はがちがちの理系で,3人はいわゆるスピリチュアルなことを信じているという面白い組み合わせだった。自分は科学で証明されていないスピリチュアルは信じていないが,信じている人の論説を聞くのが好きなので,互いに別角度からの話をして大いに盛り上がった。

その中で,自分と彼らとの共通点として,瞑想を習慣的にしているということがあった。彼らは瞑想をすることで内なる自分と対話をして,自分の感情に敏感になるというようなことを語っていたが,ある意味でそれは正しいと思う。科学的に説明すると,普段から瞑想をすることで,感情を処理する脳の偏桃体が変化して共感力が上がったり,ストレスや不安が解消され,ワーキングメモリに余裕が生まれ向上したり,一つのことに集中できるようになる。つまり,瞑想をすることで感動しやすくなるというのは,”感動の閾値”が下がるという意味で科学的に正しいと言える。

 

以上,”感動の閾値”について,①感動の種に多く出会う方法,②”感動の閾値”を超えて感動に至るプロセス,③”感動の閾値”をいかに低く保ち,感動しやすい心を維持するかについて述べた。

感動に敏感な心を持っていると,ささいなことにいちいち心を動かされるので,日常生活が楽しくて仕方がないし,人生が豊かになっている感覚があって心地良い。この記事を読んで,あなたが人生で多くの感動に出会うことを願っている。