いつもは静かな自分の部屋で本を読んでいると,外で何やら話し声が聞こえる。そんなに大きい声で話しているわけではないのに,気になって集中できない。

こうした経験は誰でもあるだろう。ささいな音なのに,なぜか意識がそっちに引っ張られてしまう。もちろんイライラしているといった精神状態などが大きく影響してくるだろうが,ここでは偏ったアプローチをしてみる。

 

物理量と主観量を結びつける式として知られている「ウェーバー・フェヒナーの法則」というものがある。人間が受ける光や音などの刺激の量を\(I\),その変化量を\(\Delta I\)とすると

$$ \frac{\Delta I}{I} = const. $$

という関係が成り立つ。つまり,10の刺激が1だけ変化したものと,1000の刺激が100だけ変化したものは等しい。右辺を知覚できる最小の値(閾値)と考えると,弱い刺激に対しては微小な変化を知覚できるが,強い刺激は大きく変化しない限り知覚できない。

例を出して分かりやすくしよう。10の音量で鳴いている鈴虫が音量を7にした。その差は3で,音量が下がったのが知覚された。一方で音量500の音楽がボリュームダウンして音量497になった。この差も3だが,人間の感覚では知覚できなかった。知覚できるかどうかは,変化量ではなく元の音量に対する変化量の割合で決定されるからだ。つまり,鈴虫のケースでは「音量が3下がった」ではなく,「音量が元の70%になった」が正しい。

 

さて,「ささいな音が気になる」に戻ろう。知覚できる閾値を例えば0.1と設定してみる。音楽を聴いていて音量が1000から1100に変化したとき,\(\frac{\Delta I}{I}=\frac{1100-100}{1000}=0.1\)で,ギリギリ変化を感じ取れる限界である。
では冒頭のケース。自分の部屋には通常,非常に小さな10の音が入ってきていたとする。そして話し声が聞こえた時の音量を30としよう。\(\frac{\Delta I}{I}=\frac{30-10}{10}=2.0\)となり,閾値を大きく超えていることが分かる。つまり変化が感じ取られる最小の刺激を,ささいな音が上回っている。こうなるとささいな音が気になるのも仕方がないだろう。

 

この記事では「気になる」という定量的でない事象に対して,一方向のアプローチをしたものであって,実際には人間の精神状態や個人差など多くの要素が関係することはご理解ください。

 

以下,参考

http://jgp.rupress.org/content/7/2/235